他人がフラれるとこなんて見るもんじゃねえ。
放課後、空き教室の前を通った時に見えた人影。あーハイハイまだ新学期始まってすぐだっつうのにお盛んなことで。
学校なんてとこにいりゃ稀に遭遇するそういうイベントも普段なら何も見なかったことにして終わるはずだった。教室の中から聞き覚えのある声がするまでは。
「……やっぱ付き合ってんの、あいつと」
「なに。あいつって千空のこと?」
クソ、まーた始まった。女の声の主、名前は俺の幼馴染みだ。名前は大層おモテになるらしく、こういう目にあってるのをよく見かける。
どこのどいつが告ろうと名前の答えは「ノー」だった。そんでもって次に出てくる相手の悪あがきみてえな質問がこれだ。
「別に付き合ってねえよ」
突然開けられたドアの音にビビった二人が一斉に俺を見る。
「千空!」
だからテメーはそういう顔すんなって。お可哀想に、粉々に砕かれた恋心ってヤツを拾い集めることもできず気まずくなったのか、俺の幼馴染みの女に告った男は足早に立ち去った。
「ゴメン。また巻き込んじゃったね」
「あぁ全くだわ、これで何回目だ」
「数えたくない……」
近くにあった椅子に座った名前は、顔の造りだとかそういうのは知ったことじゃねえが、どことなく親しみやすい雰囲気を持っている。俺ですらそういう認識を持っている。
「良いオトモダチなんじゃなかったのか?」
残酷な話だが、コイツが友達だと思って接していた男は大体ああなる。
最初は友達でも良かったのに、いつの間にか自分が、自分だけが特別なんじゃねえか?なーんて一人で盛り上がった挙げ句にまぁこのザマというわけだ。
「あっ友達といえば話は全然変わるんだけど。友達がさぁ、この前キスしたんだって!彼氏と」
「いや切り替え早すぎて流石に酷えな……んで俺はテメーのその話に付き合わなきゃなんねえのか?」
「珍し〜、千空が誰かに同情とか」
別に同情じゃねえよ。大仰に口を両手で押さえて驚嘆する名前の無防備な額を軽く小突いてやる。話し終えて満足するまでこの女は100億パーセント席を立たない。
「キスって小学生がするようなのじゃないよ?……その、舌入れるやつ」
「小学生って、テメーはしたことあんのかよ小学生の時に」
「しないよ。知ってんでしょ」
俺も、話を振ってきた名前ですらも、長いこと洗ってねえ雑巾の臭いでも嗅いだみたいな顔をして座っている。このままの空気を味わいたくなくて、話の続きを促した。
「で、そのキス?ディープなやつ、をした感想がね。ソッコーでうがいした!だったわけ」
「やっぱ無理だったんじゃねえか」
「うん。そんで家帰ってすぐ歯磨きしたんだって〜」
「人間が口ん中にどんだけ細菌飼ってんのか考えたら無理だなそりゃ」
「そ、そこまでは考えてないと思う」
夢も希望もない話だと名前は嘆く。別にしたいだなんて思ってもねえクセに、この女は大して欲しくもない物が欲しいフリをする。
「……帰ろっか。なんかスッキリするもの飲もう」
「世間話に付き合った礼か?そんならおありがてえ」
「だから悪かったって」
立ち上がって出口に向かうと、俺の背中に触れた名前の両手がそのまま体を前に押していく。触ったと思ったら「なんか凝ってない?」と肩甲骨の下辺りにグリグリと指を入れてくる。さっきまでこの教室にいた野郎が見たら泣くどころか引くぞ。
「でもやっぱり千空に話したかった。千空がまだ私と同じ気持ちでいてくれて良かった」
「……そうかよ」
名前が俺に何でも話すのは、何の躊躇もなく俺に触れるのは、名前が今まで向けられてきたような好意を俺が持っていないと思ってるからだ。
「あのね、でも私、科学とは別に千空に好きな人とか恋人ができても応援するよ!だから私に縛られてるとか、そういうのは全然考えなくて良いからね」
「あぁ?んなことテメーに言われるまで微塵も考えてなかったわ」
千空は、私以外の人は大丈夫、私が駄目なだけ。何度目だか数えんのも止めた。今日みたいに、他人に気持ちを曝け出された時、名前はいつも一人で勝手に納得して、一人で帰っていく。
校門を出て少し歩いた所にある自販機を通り越して、俺たちはコンビニへと向かった。
「あの子だって別に何も悪くないんだよね、本当は。普通に仲良くしてくれてたのに」
下校途中の生徒でまあまあ賑わっていたコンビニから出て、人通りの少ない路地へと入っていく。
紙パックのオレンジジュースは名前の昔からのお気に入りで、よく抱えながら走って溢していたのを思い出す。迷いもせず選んだ、甘酸っぱいその味に目を固く瞑ったまま、さっきの話はまだ続くらしかった。
「もう前みたいに話せない、こんな言葉もかけられない。私が駄目って言っちゃったから」
お優しいのは結構だが、ここまで心配してもらいながらこの女にフラれた男は大抵何ヶ月か経った後フツーに違う女と歩いている。
目に見えないモノの計れない重さを知っているのは果たしてどっちなんだろうな。
「いつかは私もあっち側に行くのかな。……千空も」
「さあな。行きてえか?」
「ううん」
具体的に口にするのは鳥肌モンだが、好意の表し方なんざそれこそ人間の数だけある。
名前がそれを理解できるようになるまでは、コイツと同じ気持ちでいてやるのも吝かじゃねえっつうわけだ。
「千空のサイダー美味しそうだなぁ。ちょっと交換しない?」
「名前テメー、マジでそういうとこだぞ」
さっきの続きで口内細菌の話でもしてやろうかと過ぎったが、やめておいた。テメーの夢や希望なんてものの中じゃ、そこまで考えちゃいねえんだろうからな。
2021.12.5
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